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2011年 05月 10日
※2009年、東京・ポレポレ東中野での公開時にお寄せいただいたリレーブログを再掲載します。
高橋洋(脚本家・映画監督) 人は打ちひしがれるような痛い目にあってこそ世界の複雑さ、豊かさを発見するのであり、映画製作はまさにそうした濃縮された時間をもたらすものであるからこそ、一度味わった人々を魅了し続けるのかも知れない。味わった痛みが観客に伝われば、その映画は何事かなしたのだ。 ところで『へばの』で最も痛い目に会っているのは監督のように思えるが、それはたいがいの映画でもそうだという意味を超えて、何かもっとアカ剥けした皮膚のヒリヒリする感じがダイレクトに伝わる独特のものだ。これは監督の木村君が、僕にはパゾリーニの『ソドムの市』に登場する、あの無惨な最期を遂げる犠牲者の美少年のように見えてしかたがないからだろうか(本当にソックリの人が出てるんです)。 木村君は「犠牲者(ヴィクティム)」であり、「犠牲者(ヴィクティム)」であることに賭けようとして『へばの』の現場に立ち続けていたように思える。彼は引き裂かれる自分を見ていたのではないだろうか。この世は何故か語られやすいものと語られざるものとに分かたれ、別に映画の業界に限らないが、語られやすいものへと飛びつきたがる者たちが言葉の権力化・官僚化を生み、語られざるものをますます物言わぬ存在へと追い立ててゆくのだ。語られざるものの無言の抵抗を平然となかったものとして扱うこうした言説の欺瞞に、木村君は撮ることによって気づいていったのではないか。 誰だって、この言説の欺瞞の甘い汁をよく知っており、そこから抜け出す術がないことに激しい嫌悪を抱きながら、結局は加担しているのだ。木村君は自分の手も十分に汚れていることを見つめ、だから引き裂かれたのだ。引き裂かれた果てに見出したのは、あのヒロインが生き続ける土地だったのではないか。 それは「どっこい、女は生きてゆく」なんていう語られやすいものではなく、眼の前に広がる大地といったものでもなく、ただ眼に見えぬ恐ろしい力で人々を捕らえてゆく呪縛のような働きである。これは人間の執着ではない。もはや人間の意志を超えて、そうとしかあり得ないように動くものがあり、実は木村君はそれをよく知っていることにハタと気づいたのではないか。これは横溝正史がミステリの形を借りて表そうとしたもの、それ抜きにしてはあのムチャクチャな犯罪動機がただムチャクチャなままにしか見えないものなのだ。 それは容易に語られるものではない。木村君はずっと「犠牲者(ヴィクティム)」として引き裂かれ続けていて欲しい。言説の欺瞞は、引き裂かれることを忘れたものたちを本当の犠牲者、権力の手先にしてしまう。 ************************************ 『へばの』英語字幕版上映+USTREAM 同時配信 2011年5月15日(日)モーニング&レイトショー上映 ◎モーニングショー 【開場】 10時30分 【開映】 11時00分〜 【座談会】 12時45分〜 【会場】 光塾 COMMON CONTACT 並木町(東京都渋谷区渋谷3-27-15 光和ビルB1) ※上映終了後に休憩をはさみ、その場で、参加を希望される方々と、監督・スタッフにより座談会を一時間程度行いたいと思います。参加は無料です。 ◎レイトショー 【開場】 20時50分 【開映】 21時10分〜 【会場】 オーディトリウム渋谷(東京都渋谷区円山町1-5 KINOHAUS 2F) 【各回入場料】 予約:1,000円 / 当日:1,200円 【ご予約・お問い合わせ】 E-mail:teamjudas@ss.lomo.jp ※各回共、映画上映と同時にUSTREAM 配信を行います。 www.ustream.tv/channel/hebano-goodbye ※経費を差し引いた収益の全額を被災地の義援金として寄付、もしくは物資を購入して届ける予定です。 送付先、届け先に関しましては現在検討中、終了後に会計収支とともにをHP上で報告します。
by hebano_goodbye
| 2011-05-10 16:29
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